電奏楽団 天門ぶろぐ

アニメやゲームの曲を作っている天門の個人ブログです

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回顧録(9)  オタクの群像(3)

さて、そんな感じで学生生活を送っていたわけですが、
私は以前書いたようにパソコンで曲を作る事に
没頭していた、という流れでした。

あるとき、部長がリーダーになって同人誌を作る事になりました。

お題はなんでもよかったと思います。
仲間内だけで作るものでしたので、最終的にはコピー誌。

私も面白いと思って参加しました。

確か私が描いたのは
大友克洋氏の「AKIRA」の絵柄で
サザエさんのキャラを冗談で描いた漫画(笑)
漫画と言っても2ページ見開き分だけでしたけど。

参加メンバーの原稿が揃い、いきおい同人誌が完成すると
思いきや、これに参加していた松江名さんの原稿に問題が発生。

それは絵自体にはペン入れがされているものの、
セリフが鉛筆のままでペン入れされておらず、
そのままでコピーで写らないおそれがあったのです。

その時に部長と松江名さんの間でどういうやり取りがあったのか
わかりませんが、結局、松江名さんの原稿は
ボツになり、同人誌には掲載されませんでした。

実は部長、カリスマ性があって明朗快活に見えるものの、
プライドの高い面もあって、自分の活躍できる方面では
非常に頑固なんですね。
部長は松江名さんの原稿があがって来た時に、
プライドと嫉妬がないまぜになった複雑な気持ちに
なったのではないかと思います。

今思うと松江名さんの貴重な学生時代の原稿なのに、
幻となってちょっと残念・・・・。

そして、次第にこういう「ほころび」が表に出るようになって
部長と松江名さんの間に、しばしば意見の食い違いが
見られるようになりました。

もちろんこれは若さゆえにぶつかった事だと思いますが、
後年、この二人は本格的に漫画家の道を目指す事になります。

そして「趣味を職業とする事」に関して
シビアな結果が待っており、明暗が別れて行きました。



つづく

[ 2009/10/21 23:56 ] 回顧録 | TB(-) | CM(2)

回顧録(8)  オタクの群像(2)

そもそも、私が農業系の学校に入ることになったのは
まず第一に、私が勉強出来なかった事(笑)

そして、中学校の時の私の担任の先生が、
私が「何かを作る事」が好きだ、
という事を見抜いていたんでしょうか、こう言って薦めてくれたんです。

「その学校(学科)の卒業記念に日本庭園を造るんです。
白川(私の本名)にとってちょうどいいんじゃないかな?」

それがきっかけで入学試験を受けました。
その担任の先生は女性ながら怖い先生でしたけど、
恩師と呼ぶべき存在でした。

そして、小学校も同じだった友人の花山さんと一緒に
晴れて農業高校に通う事になりました。
花山さんとはその後もずっと交流があり、たまに飲んだり
旅行に出かける友人です。
ゲーム会社でグラフィックとして働いたり、自分で作品を作ったりしています。


あと、本筋から離れるのでここで書くのもなんなのですが、
ちょうど同学年に、お笑い、ものまね芸人として
松浦亜弥さんなどのモノマネで有名な
前田健さんがいます。

私の学校は、前述の通り、学科の縦のつながりは強いものの、
横の違う学科のクラスとのつながりは弱く、
前田さんは一番接点の無いクラスだったと思います。

たぶん、彼は私の事は知らないと思いますが、
彼は芸能界で活躍するくらいですので、当時から目立っていましたね。

ある時、校門あたりを歩いていた時に、英語の歌を楽しそうに
口ずさみながら、他の生徒の間をテンション高く踊るような感じで
走り抜けていった彼を見て
エキセントリックな人だなぁ、と思った覚えがあります。


今考えると、なかなか面白い人たちが居たな、と思い返しますね。

他にも松江名さんと良くコンビを組んでいたC君は
生徒会に立候補した時の演説で開口一番

「僕は鮭茶漬けが好きです」

その場に居た全校生徒がざわめいたのは言うまでもなく(笑)
おまけに生徒会長に選ばれてしまって(笑)

でもその後はきちんと生徒会長を勤め上げていたようです。


私はそんな中、物理部部長を中心とした
コミュニティに身を置きながら、学生生活を送って行きました。



つづく



[ 2009/10/07 09:40 ] 回顧録 | TB(-) | CM(4)

回顧録(7)  オタクの群像(1)

さて、コミケでの同人活動によって、より、
音楽を作ることひとつの意味を見出したわけですが、
私の通っていた学校でも、今で言うオタク文化系にアンテナを
持つ人たちが集まっていました。

その中心的人物が「物理部」という部活に所属し、活動場所である
物理室によくたむろしていた事から、「物理部」と言うと
イコールオタク、という風に認識されていました。
実際、物理部がちゃんと部活動を行っていたのか不明。
中心人物は部長を務めており、そのまま「部長」と呼ばれていました。
(私たちはまた別なあだ名で呼んでいたのですが)


私はその物理部に入り浸る事はなかったんですが、
部長と同じクラスで、なにかと接触は多かったんですね。

部長は実は学年がひとつ上だったものの、留年してしまって
私達と同じクラスになったんですが、オタクとしての
ある意味カリスマ的な存在で、アニメ、漫画、特撮などに造詣が深く、
さらにそれらを熱っぽく語り、時にはユーモアで笑わせ、
彼の周囲には自然とオタク系の人が集まるようになっていました。

そんな彼の周囲に、私たちのひとつ下の学年だった
松江名俊さんも居たんですね。


私の通っていた学校は普通校ではなく、農業系であったのでちょっと
変わっていて、ひとつのクラスに対して
三年生から一年生までのつながりがある程度あるんですね。

たとえば、班分けなどがされており、1班なら三年生の1班から
一年生の1班まで、共同で作業する仕組みになっています。

奇しくも、その班分けでも松江名さんと同じ班。
最初の印象は、とにかく作業をバリバリこなす人だな、というものでした。


前述の部長は、それだけオタク文化に造詣が深いだけあって
自分自身もそういう世界で活躍する事を希望しており、
自らイラストや漫画などを描いていました。

とりわけ、自分自身の世界を投入したストーリーを
練る事にかなりの力を注いでいて、そのストーリーに登場する
キャラクターについて熱く語り、また描いたイラストを
披露したりしていたんですね。

そういう場所に松江名さんが一緒に居る時、
部長の熱い語りを聞きながら
なんとなく松江名さんも静かに輝いていた気がします。


つまり松江名さんも「創作する側の人間」だったのです。



つづく


[ 2009/10/03 09:17 ] 回顧録 | TB(-) | CM(9)

回顧録(6) コミケ

さて、ほとんど情報の無いまま、
コミケに初参加したわけですが、
やはりなんといってもコスプレが驚きましたよね(笑)

目を白黒させながら自分たちのスペースで
ソフトの頒布を開始しました。

記憶だと、一枚200円だったと思います。

当時、パソコンのソフトを出しているサークルはそれほど
多くはなかったと思いますが、ちょっとしたゲームとかを数百円から
千円程度で出している風潮だったと記憶しています。

そのサークルの中に、「オニオンソフトウェア」という所が
ありまして、非常に使い勝手の良かった
MMLのドライバー「SPLIT」を出していたんですが、
その他にもちょっとしたDISKを「100円ソフト」と題したものも
あったんですね。

そして、その「100円ソフト」に、当時のPCゲーム界を席巻した
某有名ゲームの音楽に携わり、カリスマとしてその名を
とどろかせた方もペンネームで参加していたんです。

その事はMMLドライバー「SPLIT」を使っていた私にとって
後々、重要な意味を持つことになります。


さて、私たちのサークル。

実は持って行ったクイズゲームが全部完売したんです。

たかだか50枚程度ではありましたが、旧友の撮影した
画面写真をディスプレイしていたのも効を奏し、
すべてさばく事ができました。


これがですね、徹夜明けの頭にも相当の刺激だったらしく、
非常に感動を覚えたんですね。

その後、いくつか他のサークルのゲームを買ったりして
会場を後にしました。
師匠は何か別な理由があったのか、一緒ではありませんでしたが
後から来た旧友と、フラフラになりながら
大きな橋を渡って帰った記憶があります。


家に着いて、そのまま寝たんですが、
起きた後でも感動がひしひしとよみがえってきました。

自分たちが自発的に作ったモノを、他人が買ってくれる・・・。
うれしかったですね~。
今まで味わった事の無い、言い尽くせない幸福感に
包まれたわけです。

作ることだけでも幸せだったのに、さらに完売した事実が
かなりのインパクトになりました。

学生の時にそういうインパクトを受けた事は
確実に自分のその後の人生の根幹になりましたよね。

後年、新海さんと出会って「彼女と彼女の猫」に携わって、
DoGaでグランプリを受賞したあとに
CDRに焼いて同人即売会に出品する事を
私が提案しましたが、それもあの時のアマチュア精神が
根底にあったからなのだと思います。


コミケというと、ちょっと拒否反応を示す向きも
あるかと思いますが、私にとっては重要な体験を
した忘れられない場所なのでした。



つづく







[ 2009/08/19 10:51 ] 回顧録 | TB(-) | CM(3)

回顧録(5) ゲームを作る 2 

つい先日、当時そのゲーム作りに参加していた
旧友に会って、その頃の話をしました。

私は完全に忘れていたんですけど、旧友に聞いて
思い出しました。
作っていた最中、夜更けまでたむろしてハイになっている時。

夏の夜に稼動していた扇風機のフタを外し、
羽の真ん中の部分に、どうしたことかレコードを
両面テープかなんかで貼り付けて(笑)
扇風機を回転させて聴いてみようとか、まったく意味不明な
馬鹿な事をしてたんですよね(笑)

レコードの回転数って、たしか一分間に33回転とか45回転とか
なんですけど、扇風機で回して、いったい何回転なんだと(笑)
100回転は超えますよね(笑)

結果は覚えてないですけど、そんなの聴けるわけが無い(笑)


まぁ、そんな馬鹿さ加減でした(笑)


最終的には、現在ではほとんど見かけない
5インチのフロッピーディスクに、プリントゴッコで作った
ラベルを貼って、50枚くらい作ったんでしょうか。

ほとんど徹夜状態で目をこすりながら、
師匠に連れられて、夏の祭典に出発。
どういう所に連れて行かれるのか、まったく情報がなく、
ただ師匠の後にくっついて出掛けたわけです。

現在よく使用されている有明のビッグサイトではなく、
会場は当時の定番であった晴海の会場。

はじめてのコミックマーケット、通称「コミケ」は
強烈な印象として、その後の自分に少なからず
影響を与えることになるのでした。


つづく



[ 2009/08/14 17:19 ] 回顧録 | TB(-) | CM(3)
プロフィール

天門2009

Author:天門2009
1971年東京都生まれ。
本名:白川篤史
1990年PCゲーム会社
日本ファルコムに
サウンドとして入社。
12年を経て退社後、
minoriに籍を置きながら
新海誠監督の映像などの
アニメの音楽に従事。

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